中国の貧富格差が激しいのは皆さんも良くご存知だと思います。
<北京ではランボルギーニをよく見かけます>

<馬車も見かけますw> ※最近見かける機会が少なくなって寂しい・・・

この格差は経済面だけでなく、あらゆる部分に及ぶのです。
文化、素養、教育程度、習慣、地域等の様々な部分でもの凄い幅があり、日本の様な中間層のボリュームが圧倒的に多い国では無いのです。
私もこのブログでこの言葉は使ってしまうのですが、結局の所自分の周りにいる中国人はそれなりに学歴もあり、中間層以上に位置している中国人との交流で得られた情報が多いと思います。
所謂低所得者層との交流の機会はかなり限られ、なかなか接点も無いのが現状です。
中国の戸籍は都市住民と農村住民と区別されています。
農村から都市へ出稼ぎに来ている人を「農民工」と呼びます。
日本で平等の価値観の教育を受けた私に取り、最初この農民工という言葉にも抵抗がありました。
差別用語の様な感じがしたのです。
ただ電車等で見かける農民工を見ると、不潔でマナーも悪く、正直友達になれるかというとかなりの抵抗があります。
(全ての農民工がそうではなく、そういった人が目立つのです・・・)
中国人同士でもクラスを超えた付き合いというのは、あまり無い様に見受けられます。
やはり大陸では日本の全て平等という価値観では無い事も確かなのです。
逆に教育程度で言うと、文化素養の無い人も沢山いますが、海外留学経験があったり、MBAを取得しているようなハイクラス人材も驚くほどいるのです。
勿論そういった人材は割合は少ないのでしょうが、人口の分母が途轍も無く多いこの国では、絶対的な人数は相当なものです。
政治に関しても日本で報道されている中国のニュースは政治の問題が多いですが、それは中国共産党の国家としての方針や考えであり、それが一般中国人庶民の考え方を代表している訳では全くありません。
そういった意味で中国で仕事をするようになりかなりの期間が経ちましたが、長くいればいるほど「中国とは」と語るのに矛盾を感じるようになってきました。
ビジネス上で中国論を話す上でも、本当は例えば北京に住んでいて、こういった学歴を持ち、収入レベルはこれぐらいの人はこういった考えですよ・・・と話すべきなのかなと思ったりもします。
まあ、いちいちこんな風に話すのも何なので、内容によっては(特にエリアや購買層を絞ったマーケティング)ある程度の前提を入れ話をするように心がける様になりました。
良く日本のテレビで中国専門!?の評論家が「中国は」「中国人は」とか語っているのを見ると、正直良く言うよ〜と思ったりします。
寧ろ地方毎、収入層毎のミクロなマーケティング戦略が必要だと思います。
以前の話ですが、中国ビジネスの先輩がこの国ではマーケティングの教科書に載っている定説が通用しないと仰っていました。
今ならその理由が分かります。
この国はとんでも無く多様性のある社会なのです。
あまり「中国人は」とか「中国は」と言う先入観に惑わされずに、ビジネス判断をすべきなのです。
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